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お前が何なのかを暴きだせ。

ジョジョに萌えたり、その他観劇、読書などの覚え書き。
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作家芥川龍之介について

純文学の中でも特に自身が贔屓している芥川について語る。
高校の授業で「羅生門」をやって以来、ちょいちょい読んではいたんですが本格的になったのはおそらく浪人してた時。
受験の面接官に「もうちょっと古典の作品読まないの」と言われ、見事にそこに落ちてしまったので「やってやろうじゃねぇか!!」となって買い漁ってから、現在に至る。
まぁこの面接官がいなかったら今の私はないかもしれない。

「葬儀記」「MENSULA ZOILI」「藪の中」「奉教人の死」「神神の微笑」「或旧友へ送る手記」あたりが好きです。
しかし周りにその作品チョイスに賛同してくれる知り合いがいない。何故だ。
「或旧友~」なんかは作中の文句ひとつひとつにはっとさせられて、衝撃を受けました。
といっても別に自殺に共感するってわけでもなくて、死の間際の追想であるこの文章それ自体に美しさを感じたということなんだけど、上手く表現できないな…。

>今はただ死と遊んでいる。
>「生きるために生きている」我々人間の哀れさを感じた。
>君は自然が美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。

とか、この辺の文章が綺麗だと私は思うのだけれど。
「死と遊んでいる」って表現はこの時この状況に置かれた芥川だから出てくる言葉のように思えます。
おそらくそういった自殺を考えていた芥川の言葉だったからこそ、はっとさせられたし、惹かれたんだと思う。

それから「神神の微笑」は日本の古い神の話ですが、日本の特性がよく分かる作品です。
クリスマス祝ってケーキ食べて、一週間後には年越して初詣に行く、みたいなそういう無宗教的っていうか一個の宗教に執心してないっていうか、そんな日本人特有の感覚。
この短編読むと、そういうものを少し理解したような気分になれる。
宣教師オルガンティノと日本の古い霊との対話の中で、老人の台詞にはなるほどと思わされるものがある。

>たとえば文字を御覧なさい。文字は我我を征服する代わりに、我我の為に征服されました。
>我我の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。
>事によると泥烏須自身も、この国の土人に変わるでしょう。印度や支那も変わったのです。西洋も変わらねばなりません。

このあたりの文章を読むと、確かに外から日本にやってきたものはことごとく日本の体系の中に組み込まれて、日本用のものに造りかえられているなぁと思うのです。
現在その最たるものが「聖☆おにいさん」だと思うんですがw
あれはさ、実際宗教観念の強い国だったら絶対できない設定じゃないですか。
ギャグとは言えそれを表現できる環境っていうのは、他の国からすれば信じられないんじゃなかなぁ。
それも、やっぱりこの日本の根底にある「造り変える力」によって、キリスト教も仏教も、「日本専用の様式」に造りかえられてるからじゃないかなぁと。
この「神神の微笑」を読むとそういうことも考えさせられるし、納得したような気になれるんだよね。

とりあえず二つの作品中心に語ってみましたが、上記の作品全部語りつくしてると記事が恐ろしく長くなるのでこのあたりで切っときます。
また機会があれば語ろうと思いますが、でもこういう、私的にはっとさせられる表現とか考えとかが芥川には多くて、それが私の芥川が好きな理由でもあります。


以下続きで芥川の交友関係について、女性向け的な発言を含む何の役にも立たないことを語ります。

*************************


芥川が純粋に好きであることは、事実なんですが、どうも芥川作品を中心に読み進めていくとぶち当たるある種の問題というか、その辺について少し。
芥川の作品を読み進めると必ず目にする友人ら、菊池寛、久米正雄、恒藤恭、小穴隆一等がいますが、その中でも特に菊池寛が筆頭になることが多い。
彼には芥川が自殺する際彼宛へ個別に書かれた遺書が存在し、また彼は葬儀の際に友人総代を務めています。
菊池寛の「半自叙伝」によれば彼と芥川一高の同学年ではありましたが、事に親交が深くなったのは卒業後のことだそうです。
で、この二人ほんとにいい友人だな、と思うんですよ。
芥川の作品に「兄貴のような心持」という随筆があり、これは菊池寛が自分にとって兄のようなに感じられるよーって言う短い文章です。
また菊池寛の作品に「芥川の事ども」っていう、芥川の死後に記した回想文がある。
この二編だけでも互いが良い友人関係であったと思っていたのが伺えるんですが、菊池と芥川は共同訳で本を出版してたり、芥川の死後菊池は「芥川賞」を創立したりと、とにかく二人セットで名前を聞く機会が多いんですね。

特に「芥川の事ども」を読むと、ホントにね「良質のBL小説か!!」とつっこみたくなるくらい、二人の交友について事細かに記されてるんですよ。
個人的に純文学をBL変換して考えるのは否定派だったんですよ。
「こころ」とか筆頭によく言われますけど。
さすがにそういうのまでBL変換されて、ダヴィンチの特集になった時は正直引いたんですよ。
でも、初めてこれだけは「ちょ、おまww」ってなった。
菊池先生と芥川先生には土下座でも何でもします。ごめんなさい。
7月には罪滅ぼしも兼ねて芥川先生の墓参りにも行って来た(実話)。

で、まぁ特に私の琴線に触れたのが、菊池は芥川が死ぬ前の一か月以上、たまたま芥川と会っていなかったそうで、そのことが最も遺憾に思うことだと記しているところなんですが。
最後に芥川を見止めた際の描写がまた事細かでさ。
その最後に見た芥川の目付きが忘れらんないんだと。
で、芥川自身の方は何度か菊池を訪ねてるんだけどすれ違いすれ違いで会えなくて、結局そのままになっちゃってるんだよ。
そのあたりが菊池の遺憾事だそう。
このエピソードにホントにうっかり萌えてしまった自分をぶん殴ってやりたいんですが、関係性とかシチュエーションとかがドストライクだったので……ホントすいません文豪お二人……。

>芥川と、僕とは、趣味や性質も正反対で、又僕は芥川の趣味などに義理にも共感したような顔もせず、自分のやることで芥川の気に入らぬことも沢山あっただろうが、しかし十年間一度も感情の疎隔を来たしたことはなかった

とかこの一節を読んでも二人が良い友人関係であったことがうかがわれます。
菊池寛には両性愛者の傾向にあるとのことですが、特別芥川とはそういう関係ではないだろうと思う。
ただ私がそういうけしからん妄想をしているだけで、実際二人はただの同級生かつ友人だったと思うんですよ。
それだけはちょっと混同してほしくないので書いておきます。

ちなみに菊池寛と芥川龍之介の関係性について賛同をしてもらったことも、ない。
私自身徹底的に芥川と菊池寛を調べたわけではないのでしっかり調べると矛盾があるのかもしれませんが、とにかくこの二人の関係性とか距離感みたいなものはとても理想的だと思うのです。

以上何の役にも立たない蛇足でした。

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